努力すること自体に面白みのない努力などする必要はない
努力という言葉が好きではない。
大学受験のときのトラウマがよみがえるからだ。
高校がクソ面白くなかったので、大学デビューするために日本でもかなりイケてるとされている大学に入った。
そのため、平日は4,5時間、休日は10時間以上本当に勉強してしまったのだが、これが実に辛かった。
長時間勉強するだけでも相当つらいのだが、勉強すればするほどまだ足りないような気分になり、さらに不安に襲われる。
そうして、受験間近には朝起きると吐き気がして本当に死にたくなった。
うつ病だったんだな、あれは。
そんなこんなで受験は成功したものの、入学してからはたと大学デビューするぐらいなら大学なんてどこでも良かったことに気づいた。
考えれば実に当たり前のことだが、そういうことって結構ある。
その後も人も羨む大企業に入ったものの全く合わずに4年で辞めてしまったし、がんばって美女と付き合えたものの性格がオレの望むものとは逆だったり…。
そんなことを考えていると、努力の結果なんて分からないから、努力自体に面白みがある努力をすべきではなかろうか?
上手くなるかは分からないが、楽器だったりスポーツだったりはすること自体が面白いだろう。
オレはそういう努力を探していこうと思っている。