「普通の人生が一番幸せ」とか言うけど、そんな随時確認しなきゃいけない幸せのどこが幸せだ?
「会社行って帰ってきてご飯食べて寝るだけの毎日が実は幸せなのだ」みたいな記事を読んだ。
この手のものは色々ある。
普通に生きていけるだけでも大変なことでだから幸せだとか、何も起こらないけど何も起きないことが幸せだとか、内乱や飢餓で苦しんでいる国の人々に比べたら幸せだとか。
それって本当か?
繰り返される毎日変わり映えのしない日常は本当に幸せか?
そもそも幸せって、そうやってところどころで自分を納得させなきゃいけないものか?
オレの答えは「ノー」だ。
人間はワガママだ。
そりゃぁ内乱や飢餓で苦しんでたら平和や豊かさを願うだろうが、実現したらそれが日常になってしまいもっと高い欲望を持ってしまう。
結局、本質は同じようなことを延々繰り返しているかのようにも見える。
それを否定して、悟りでも開いて足るを知れる人はいいが、そうじゃない以上、常に上を目指すしかないのではないだろうか?
そして、幸せってその幸せを目指す過程にこそあるものなのではなかろうか?
そんなことを最近思うが、答えは今オレが歩んでいる過程にしかない。
つまり結論は分からないのだが、「普通が一番」とか言う常識はオレにとってはウソであることだけは確かだ。